自分の波動領域をつくる

2022年10月21日

最近、日本や世界が、慌ただしくなってきました。なんかを、やろうとしているような気配(戦争モードに突入させているよう)ですが、日本国民は、なぜか、冷めています。

私的には、心配は、全くしていません。

ただね、コロナと一緒で、実態がないのに、あると思わせてくるので、

人々や子ども達が、混乱してしまわないかと

心配といえば、少し心配で、氣にかけているという感じです。


例えばね、ミサイルが飛んで来ていないのに「打ち込まれた!」、とか、

核を落としていないのに「落とされた!」とかいって映像を流されて、

『Jアラート』を鳴らされたら、みんなびっくりするでしょう。

というか、きれいに戦争の映像が取られていることが、そもそもおかしい?


この間なんかは、どこかの県では、Jアラートが鳴って、TVがカラーバーになり、

「家の中や地下に避難してください。」的なのが流されたようで・・・。

みんな、相当、びっくりしたと思うよ。

私も、けたたましい津波のサイレンの音は苦手ですから。

「あれは、心臓にわるい!」」


そこでね、巻き込まれないように、そろそろ自分で自分の樂しい波動領域をつくっておくことが必要かもね?と。

もう、そんな作られたマトリックス社会から、早い目に、抜け出そうと、今年に入ってから、少しづつリハビリをしていました。


『そっと、離れる。』

ということは、自分で、しっかり自立して生きていかなければならない。

だから、プチ家庭菜園やプチ畑、DIYにも慣れておこうと、そして手仕事など、暮らしに役立つことを勉強し直しています。


もともと、昭和中期ごろの地方では、けっこう、自給自足の家庭もたくさんありました。

車も、所有している人は、ほとんどいませんでした。

自転車は、ありましたけど。

もちろん、中古です。

道も、舗装されていなかったので、泥ハネは、すごかった。

車は、木材を運ぶトラックとボンネットバスが、通るぐらいで、数少なかったです。

家にお風呂がない家も多々あり、近所の薪で焚く釜のお風呂を頼んで、時々、入らさせてもらっていました。

どこの家でも、『かまど』があり、そこで、ご飯を釜で焚いていました。

もちろん、小枝や薪を使ってです。

私も、子どもの頃は、風呂炊きの当番は、よくしていました。 (*^-^*)

新しい家は、灯油で焚くお風呂が取り付けられ始めていたと思います。


祖父母の家には、囲炉裏があり、毎日、使用していましたが、私の家には、なかったので、火鉢を置いてあって、冬は、暖をとっていました。

また、水道施設はなくて、みな、自家用の井戸が、ありました。

ご飯を炊くと、保存する家電製品などなくて、木の『おひつ』に、余ったご飯を入れて、保存していました。

なので、夏なんかは、すぐに、ご飯がいたむので、その傷みかけたご飯に、熱いお茶をかけてお茶めしにして食べていましたよ。

少々、くさりかけでも食べてましたしね。

また、麦を混ぜたご飯が主流だったし。

お茶も発酵させた番茶だし、みそ汁は、毎朝、食べていたし、漬物も、ぬかづけの古漬けが主流だったです。

どこの家も、自家製の漬物を食べていました。

だから、いまだに、腸が強いのかもしれません。自家製の安全な発酵食品が多かったからね。

トイレは、ぼっとん便所で、家の外にありましたので、

夜中にトイレにいくのが、真っ暗で怖くて、子どもの頃は、よく、おねしょをしていましたよ。 (*^-^*)

トイレットペーパーなんてのは、まだ無いので、

硬めの『チリ紙』というものを使用していましたし、お店も、少ないので、購入することができないときは、新聞紙を切って、ぐしゃぐしゃにして柔らかくして使ってました。

今思うと、昭和の中期までに生まれた、地方の人々は、災害が起きても、強いんではないかなと思いますね。

でも、大阪は、この時代には、水洗便所が、新しいアパートなどには、取り付けられ始めていました。

私、大阪生まれなので、この記憶があります。

その後、父母の故郷の徳島県に帰ってきたので、環境が、あまりにも違い過ぎて、子どもの私には、衝撃的で、田舎暮らしが、新鮮だったので、面白がっていたのかもしれない。

プールなんてのはなくて、谷や川で、泳いでいました。

夏休みは、命札(いのちふだ)というのを首にぶら下げて、川へ泳ぎにいくのですが、

川へいる時は、当番の保護者に、その札を預けるんですよ。

その木の札には、自分の名前を書いています。

それで、終了のベルをならしても、その札を、取りに来ていない子は、川で流されて不明という判断をしていました。

すごいシステムでしょ!

人間の生死が、身近すぎて、今思うと怖いシステムですね。

でも、誰も、おぼれた子は、その当時は、いませんでした。

みんな、子供なりに、深い危険な場所へは、行かないようにしていたのでね。

小魚と一緒に泳いでいたし。

だから、こうやって書いている時も、とても懐かしいです。

時間が、ゆっくり流れていたし、自然と共存していた。


それで、話が、飛んでしまって本題に反れてしまったので、戻りますね。

その当時と比べて、テレビ生活になってしまっているので、現在は、メディアに洗脳されやすくなっています。

また、支配層の人々が、いろんな悪い計画を実行していますし。

年金なんかも、今後、保証はない。

もう、あてには出来ない時代です。←(一方の道の監視管理支配社会の場合)

※もう一方の地球人類解放への明るい未来へいく道も(時間は、かかりますが)同時進行しています。

ので、後者の道を選んだ方は、いろんな重い荷物や しがらみや人間関係や 複雑な生活を断捨離して、早めに準備や行動を起こして自分の波動領域を確保した方が、よいかもしれません。

自分の生きやすい樂しくてワクワクする、軽い波動領域。

みんな違うので、方法や内容は、違うでしょうが、好きなことや得意なこと、やってみたいことなどワクワクする生活のGOALは、みな同じ。

その延長線上には、愛と光のワンネスが、あるそうです。

誰にも、邪魔されない、巻き込まれない、軽い波動領域を自分でつくる。


国が県が市が、なんて守ってくれないですよ。

もう、この2年半で、充分、経験しました。

戦争も、コロナ騒動も、注射も、ムーンショットも、洗脳教育も、添加物だらけも、まっぴら御免です。


他人軸ではなく、「自分は、どう生きるか」の自分軸で、自分の軽い波動領域は、自分でつくる。

それで、よく似た、波長の氣の合う人たちと、会いたいときに、交流して樂しくコミュニケーションすればいい。


私ね、5次元リハビリで、家庭菜園やDIYで、外にいることが多くなっています。

すると、知らない人や近所の方や、あまり話したことが無い方から、話しかけられるようになってね、その話題は、面白い内容やポジティブな話や、知恵など教えてもらったり、野菜をくれたりで、なんだか周りが、波動が軽くなっているようで、いごごちがいいのですよ。

不思議です。

もちろん、アート教室の保護者の皆様も、ニコニコしていて、波長が軽やかでイイ感じで、私は、とても、ありがたく思っています。

子ども達も、もちろん、よく笑い明るいですよ。

今の子ども達は、本質、大人ですね。

魂が、大人なのか? 経験豊富な魂なのか?わからないですけど、本質は、立派な方だと思います。

私は、いつも、子どもというより、本質的なところでは、一個人の方と思って接しています。

これからの未来を安心安定させる立派な大切な方々と思っています。


子ども達が、真実を学び、安心できるような社会になれば、わたしの役目も終わりです。

そして、子ども達が、自分で自由に創造して、また家族や友達とアートする時間ができたら、一番いいに決まってる。

そしたら、ひのきは、安心して『おうち ひのき』にバトンタッチですよ。

今は、方法やすべを伝授してるだけ。

手仕事は、今のうちに伝授しまくります。

※「生きるという事」に直結しているから。

子ども達が、自身をもって、自立したら、もう、私の心残りは、ありません。

その時は、ひのきは「卒業おめでとう」の解散です。

だから、良い未来にいくための軽い波動領域をつくることに、できるだけフォーカスするように生きてます。


そんなこんなで、私は、のこぎりと電動ドリルの使い方で、樂しく苦戦している今日この頃です。

全くの初心者なので、庭で見かけたら、ご指導のほど、よろしくお願いいたします。

それではまたね!

<こどもの頃は、懐かしいなぁ>