『豊かな心で暮らしたい自分の幸せとは?』に専らフォーカス中。
せっかく、生かされている我が身。どうせ、寿命までは、この世で暮らすのだから、心地よく、心豊かに過ごしたいな。今から、これから私は、もっぱら、そこんところにフォーカスかな。

そうねぇ、今の生活の形は、月半分は、仕事に当てている形になっている。
でも休み中も、事務的な事や、仕事場の環境づくりをやっているので、
実質、月3分の2ぐらいは、仕事している状況かな。
残りの3分の1は、今、興味あることや、好きなことの時間に当ててます。
でも、その3分の1の貴重な時間も、孫達が遊びに来ると、大忙しな日々に変わることになります😊
せっかく、遊びに来たのだから、ちょっとでも、色々と体験させたいという氣もちもあるので・・・。
それでね、「もっと自分のゆとりの時間や、マイペースに時間を使いたい時が欲しいな。」と思う気持ちが強くなり、歳のせいでしょうかな?
常日頃の暮らしのチョッとした時間や空間を心地よく、過ごせるようにするには、どうしたら良いかを最近、よくよく考えるようになりまして・・・。
合間、あいまに、『ちょこっと家庭菜園』や、『ちょこっと貸し農園』で植物と接しているときは、結果的に癒やされてたということに、後で氣づくのですけどね。
嫌な変な汗は、かかないというか、シャワーの後も、心が気持ちよかったりします。
ケガの後遺症で、背中の痛みが、ありますが、リハビリも兼ねて、大好きな『ちょこっとDIY』も
再開したりしてるのですが、ムリをせず、少しずつ。
そして、合間に、食の実験も少しずつ。😊
最近は、子ども達に、ゆくゆく手造りアイスを披露するために、豆腐アイスの色々バージョンを試したりしてるのですが・・・。
(今のところ、一部の子ども達に試食をしてもらったら、きな粉豆腐アイスは、美味しいと言ってくれました。)
もっと完成形になったら、子ども達に、披露しますね。
それで、こんなことをやりながら、未来(自分の理想の)も夢見て想像したりもしているんですが・・・。
地球上に、日本中にも、これだけの人間の人数が、住んでいるので、考え方も、行動の仕方も、人の数だけ80億種類。
なので、一つの枠組みばかりの中でいると、引っ張られて、みんな疲れてしまうのですね。
それでね、豊かな心で暮らしたいと思っても、団体や組織のような塊の枠組みの中では、飛べない鳥になりやすい。
どうにもならない時は、飛び出して逃げるか、団体の中で覚悟して精神だけは、持って行かれないようにして、暮らすしか方法はないように思えます。
今、韓国も大変そうですね。
もう、世界中です。
そんな中で、自分の心地よい波動領域を自分で確保して、
自分で想像して創造していくフェーズに、シフトチェンジしやすくにもなってもいるので、
自分が変わるチャンスだとも言えます。
そこで、少しの合間にでも、植物を触っていると穏やかになれるので、こんなこともやってみた。
(ちょうど、トマトの脇芽取りで、取った脇芽を捨てずに、透明の瓶に飾った。)
それで、根が出てきたら、プランターにでも植えておくと、第2期のトマト栽培ができるそうです。

☆部屋でも樂しめて、後で栽培もできる、『一石二鳥』
それでね、植物を育てていると、関連して、色々と自然科学を少しずつ必要経緯に學べて、関心させられます。
種も、自家採種しているものもあるので、乾燥させた種を指で取るのに時間が掛かります。
その時は、田舎で、心豊かに暮らしている人の動画を見ながら、手を動かせているので、知らぬ間に終わっている感じで苦にならない。
また、『ジャズ』などを聞きながら、カフェに居るような感じにしたりして、作業の工夫してます。
もう、自分の想像した領域に創造して、豊かな心で暮らしたいので、その小さな行動に、もっぱら内容をフォーカスしているこの頃です。
ゆくゆく、私の未来設計の理想は、
一ヶ月の3分の1は、お金社会が無くならない限り、仕事。
そしてさらに3分の1は、樂しく生きて暮らすための工夫や模索、仲間との横繋がりや、學びの時間に。
残りの3分の1は、自分が表現したいクリエイティブな時間に。
これが、いつか実現できたらいいな、という理想の形です。
なのでね、時には、外野に振り回されそうになるかもしれませんが、結局、自分の心地よい波動領域に、戻れるように、毎日、できるだけ、心豊かで、ご機げんさんで、いられるような、リハビリをして、本当の自分に戻れるように、これから、そちらにフォーカスかな。
ということで、この辺で。
本日もおばあさんのつぶやきブログを読んでくださりありがとうございました。
子育ても、色々とあるでしょうが、問題が起きた時は、何らかを変えるときのチャンスなので、オセロの碁の黒を白に、一つずつ変えてみることかな?
時には、自分が、もし神様だったら視点になってみると、解決しやすいですね。
こんな時は、「神様は、どう判断するだろうか?」とか、
「こんな考え方をしたら、神様は、嫌がるだろうな?」とかね。
それではまたね!
<動けるだけでも、有り難い。>