人の『物差し』って何だろう?子供も唯一無二の存在。

2025年05月11日

毎日、雲の形や様子が違うように、人それぞれも、同じ人はいない。そもそも違うということを知ると、なんだかラクになってくる。自然で遊ぼう。

何かが、できないとか、

何かが、劣っているとか、

出来ない事ばかりが、先行して、小さい頃から大人になるまで、生きていく上で、さんざん、周りから言われたりしたことは、誰でも、ほとんどの人が経験あると思う。

自信なくした時もあるよね。

もちろん、褒められることも、あっただろう。


どうしても、比べるとか、比べられるとかの社会や自分の概念が、付きまとう。

まるで、ストーカーのような概念だ。

みんな、一人一人の見方や、測り方などの『モノさし』が違うため。

私も、生きていく上で、この概念と向き合ってきた。

自分との葛藤かな?

『何をもって、人を測るのだろう?、何をもって、人に測られるのだろう?」


だから、学校だったら、担任によって学級運営の仕方が違ってくるのは、当然である。

A君からしたら、1組は天国かも知れない。

でも2組だとしたら、毎日のストレスかもしれない。

これ、例え話です。


なのでね、この『人のモノさし』によって、

家庭でも、学校でも、職場、お友達関係でも、『モノ差し』の基準で、天国になったり、地獄になったりするんですね。

これも例えです。↑


この『人のモノ差し』測ったり、測られたりの『比べる』という行為の概念は、どうしたら無くなるんだろうか?

それとも、必要なのか?

極端な話し、『比べる』が行き過ぎると、人を分離するとか、競争や霊性の退化、戦争という結末になってしまう。


受験も株もそうだけど、誰かが、得をしたら、誰かが損をする仕組みで、

そこに、『助け合う』とか『ビジネスのウイン々』の発想の仕組みではないよな。

私だけだろうか?こんなことに疑問を抱いているのは・・・。


ということでね、

私は、長年、このモンスターのようなストーカーのような人間の『もの差し』で、測ってしまう癖の概念をドンドン、取り払うことにしてきた。


今でも、時々、自分の『もの差し』が、発動してしまいますが、

これを変換するようにしてます。😊

『何でだろう?』を

『こういうことか?だとしたら、こうしようか?』

でもまあ、仕方ないことは、仕方ないよな。』→

『これで、いいんじゃないかな?』→『尊重しよう』→

『樂しかったら、それで、良し。』


昔は、これを陰陽五行による九星氣學を取り入れて、子ども達に接していたんです。

その時代は、その方法で、しっくりきてたからね。

『陰と陽』のバランスみたいなもんかな?

この子は、こういう性質があるから、こう接した方が、上手くいく。という感じで。

相手を尊重してからの対応というか、そんな感じで。


今は、経験も積んで、ちょっと少し違う方向ですが、(宇宙的に考えるようになってきたので)

そしてさらに、いろんな本を読んだりしてきた中で、価値観もおおきく変わってきました。


なので、今は、『もの差し』の変換を感覚で、やっていますが・・・。😊


そこで、今のところでは、『人は、同じ人は、いない。唯一無二の存在だ。』

『みんな違って、みんないい。』


『結局、もの差しなんて、自分勝手な概念なので、相手を自分のもの差しで、測ることじたい、また、測られることじたい、おかしいなぁ。』と、思うようになりました。


よく一般で言う、完璧を求めるのなら、人(自分も含め)は、欠けてる所は、たくさんある。

欠けてるからこそ、相手に、頭下げるとか、出来ないところを助け合うとか、

補い合うとかという、一つのコミュニケーションを學べるので、成長できる大きなギフトだね。


なので、得意、不得意を2つ合わせて、「今の あなたに丁度良い、完璧だ。」

ということにも、なるかもしれないね。


「陰と陽」の2つで混ぜ合わせて、統合が完璧ということかな?

う~ん、本当のところは、わからないけどね。


だから、現実においては、『比べられたから』とか、

『相手に、出来ない事をとがめられた』とかを、氣にする必要は無いと思うよ。

その出来ないってところも、魅力のうちだと思うよ。

少し可愛いじゃないですか。

母性が多い人ほど、そう思うかもしれないよ。

出来ないところは、できる人が補えれば良いかな。

お互い様で助け合えれば理想だね。


みんな、輝く光の星を持っているから、生きていく上で、きっと大丈夫だよ。

まずは、『陰と陽の自分』を知ることだね。


どちらの自分を認めて、いずれ人様のお役に立てれますように、祈ろう。

それが、『生きる』ということかな?


結局ね、いつも、同じ所にもどるのですが、死ぬときは、物質的に何も持って帰れない。

なので、生きている内に、感動や体験を悔いの無いようにすることだろうな。

こういうことを考えると、子どもへの接し方も、変わってくると思うよ。

『今を大切に生きる』

どうせなら、樂しく、ワクワクしながら地球を謳歌しましょうよ。(迷惑の掛からない程度に)


これからは、夏至に向かって、昼の時間が長くなるので、自然の中で、思いっきり、子ども達を遊ばせてあげてみましょう。

しばらくは、ごきげんさんで、いてくれると思うよ。

自然には、かなわないよ。

自然から、學ぶことは、いっぱいあるしね。


今日も、感謝、感謝。

ありがとう。


今日は、この辺で、

本日もおばあさんのつぶやきブログを読んでくださりありがとうございました。


<今年の梅は、不作らしい、和歌山など他の産地は、雹の被害で、お手上げらしい。う~ん>