念願の籐の籠&落ちぶれた世間話

2024年06月29日

世間の社会的、組織的なところの膿だしが、日常茶飯事に日本国中で、起きています。まあ、開いた口がふさがらない内容の事が多すぎて、びっくりですが・・・。なので自分の空間は、心地よく守ってくださいね。

はじめに、素敵な籐の籠などの話しです。↑の写真。

『道の駅 公方の郷なかがわ』というところがあるのですが、そこの駐車場でテントを張って、籠や笊などを売っている人がいるのを聞いていたので、今までも何回も、足を運んでいってみたのですが、なかなか、お目に掛からない。

かれこれ、半年ぐらいは、期待してさがしていたのだけれど・・・。


もう、これは、道の駅の事務局さんに聞いてみるしかないと。

そしたら、その籠屋さんは、「不定期で、いつくるかは、わからない。」という。

特に、風が強かったり、雨が少しでも降っていたら、絶対来ないらしい。

「う~ん。」と私が、残念がっていると、こう言ってくれた。

「もし、そのお店の人が来たら、あなたに電話したげるわ。」と。

ほんと、事務局の方、やさしい!


それで、会いたかった運命の日が、やってきました。

その日は、少しお天気が、悪かったので、その篭屋さんは、昼くらいには、引き上げるかも知れないと連絡が来ました。

でも、事務局の方が、私の情熱の思いを伝えてくださってくれたみたいで、篭屋さんは、私が来るまで、待っていてくれると言ってくれたそうです。

ほんとうに、どうしても仕方ないときは、思いを乗せて相手に伝えると、物事が好転するのですね。

↑このような感じの事は、ペンキ画家のショーゲンさんの本『今日、誰のために生きる?』にも書いてあった。


やっと篭屋さんに会えたので、情熱の反動で、素敵な籠を、たくさん買いました。

他にも、テント内では、たくさんの籐の籠や、竹のザルや籠、弁当箱など、色々ありました。

願いが叶い、その日は、一日中、テンション、マックスでした。😊

やはり、自然植物で出来た製品は、なんか味というか、氣というか、エネルギーが、柔らかいですね。


実はね、この篭屋さんの情報は、パン屋さんの『パンダ工房』さんに教えてもらったんです。

ひのきでの子どもの『おやつ』に、時々ここの『チョコチップパン』を注文しているのでね、

ありがとう!



☆☆ちなみに、この間の不燃ゴミの日、プラスチックの衣装ケースを、たくさん処分しました。

極力、プラスチックは、減らしていってます。

家の裏に大量に準備していた衣装ケースの粗大ゴミを、やっと持って行ってくれて、軽くなりました。

髪の毛を散髪して、スッキリしたような感じの氣分です。

ゴミ収集のお仕事の方には、いつもお世話になっております。

ほんとうに、ありがたいです。

こんな感じで、少しずつですが、断捨離してます。


またまた、話しは、変わりますが、

この間の、ひのきでの出来事、小1年生の男の子が、急に、突然、こんなことを言ったのです。

その子が夢中になって、工作をしているときに・・。

急に、突然、何の前触れも無く、

「ぼく、なんで学校に行っきょるんだろう?」

その時は、時間が早かったので、子どもの人数が、少なかった時で、いつもより静かな時に、ふと思いが巡ってきたのでしょうか?


私も急に言われて、受け答えが、難しくて戸惑いました。

私の工房では、様々な環境の子どもたちがいるので、できるだけ中庸の立場ですが・・・。


それで、なんでこんな疑問を早々に持ったのかな?と考えてみた。

新小1年生になって、3ヶ月も、まだ経っていない。


私は、今まで長年、子どもに携わってきたけど、新1年生が、早々と、こんな疑問の言葉を言ったのは、初めて聞きました。

『ぼく、なんで学校に行っきょんだろう?』


小3ぐらいの子が、言うのは、今まで聞いたことがあります。

毎日、3年も通っての総合的な観点での疑問を持つのは、わかりますよ。


最近の6~7才の子は、なんか今までとは、少し違うタイプ?

ほんとうに哲学的ですね。

魂が大人。

魂的に、宇宙的な視点を持っている子が多いのかも知れない。

宇宙的な視点からすると、たぶん、「ぼく、私、何やってるんだろう?何か変?」てなるのだろうけどね。

今は、世界は移行期の真っ只中で、3次元の視点の人も多いので、考え方も、2極化、多極化です。

選択は、個人の自由ですが。


ちなみに、私はと言うと、山の視点から宇宙的な視点へと、考えられるように、やっとなりました。

『今までの世の中の制度やシステム、違和感だらけ?』

教育者の氣持ちの悪い事件の摘発も、ほんとうに多すぎる。

子どもの被害者は、大人を信用できなくなる。

ほんとうに、氣持ち悪い。

教育委員会は、いったい、何を隠していたのか?

昔、アニメで『僕だけがいない街』というのが、あったが、今、膿だし中のたくさんの事件とマッチしている。


そして毎日、社会の膿だしが、次々出てきて、いろいろと内容も、あまりにもヒドイですね。

肩書きがついている人や、医療や、国や、公務的な仕事の職業の人の浄化が日々、数々と。

告発者も増えてきている。

もう、開いた口がふさがらない。

こんなこと日常茶飯事あったと思うと、どんだけ、腐りきっていたかを見せられている。


まぁ、とにかく、真面目に、もう一方の未来に進んでいる方は、居心地が良い、幸せな日々を送れる可能性が大なので、さっさと違和感のある社会から抜け出すことが、先決ですね。


スピリチュアル的な宇宙の成り立ちを知ったら、自分が何者か?という答えが、わかってくる。

そうすると、現実で起きていることや、社会の仕組みの固定観念が、どんだけ、無駄であるかが、理解できてくるんです。

本でも學べます。

最近、たくさん出版されています。

なので、大人も子どもも、好きなように、樂しいことをして、生きることを体験することが、実は、シンプルな価値があるということのみだったことに、氣づく。

固定観念は、ゴミのようなもの。

なので、小学生や就学前園児さんの中で、生まれ持って、このようなことを理解できている魂の子が多いそうです。

私は、目覚めるまで、とても時間がかかりましたが。😊

子どもの方が、魂の大人です。

ほんとうに『子どもといえども、侮ることなかれ』ですね。


私は、子どもを小さな姿として見ていません。

魂を見るように心がけています。

大人も子どもも、スピリチュアル的には、同等です。

そして、地球に体験しに来た魂の子達には、地球のアクアリウムで、大いに遊んでもらいたいです。

地球は、自然がいっぱい!

今日も、筆の思いつくまま、書きました。

本日もおばあさんのつぶやきブログを読んでくださり、ありがとうございました。

それではまたね!

<夏休みの出張教室の準備をしています。教材は、ひらめきの新オリジナルです。>