ある古民家でのコミュニティ

2024年01月11日

ある棚田のある山の上の古民家のコミュニティに、初めて参加させてもらいました。初めての方ばかりでしたけど、みんな、樂しく、ずっと笑って過ごした一日でした。年齢も様々で、こんな感じの未来に・・・。

はじめに、能登半島地震で、お亡くなりになられた方々、被災された方々、お見舞い申し上げます。

日増しに、被害の状況が、大きかった事に、『今を生きる。』ということの重大さが、身に沁みる思いです。

なかでも、亡くなられた小さな子ども達もいて、その子のお母さんの言葉が、なんとも言えなかった。

その子は5歳。

「もっと、遊んだげていたら良かった。」後悔の念の お母さんの言葉です。

若いお母さんです。

もしかしたら、生活のため忙しかったのかもしれません。


もう、これは、世界中へのメッセージ。

そう、毎日々、大切に生きるということ。

子どもとのかかわりを、出来るだけで良いから、悔いなく樂しく過ごすということ。

「ああしなさい!こうしなさい!」とか、大人の思うとおりの押しつけなど、支配や要求、理不尽に叱ったり、叩いたりしてきているなら、もう、そんなこと、やめたほうがいい。

また、他の子どもと比べたり、嫌なことを無理矢理させたりすることも、新しくなってきている地球には、もう、必要が無いのです。

こんなこと書くと、今までの社会システムが生きやすいと選択された方から、ブーイングがあるかもしれませんが、もう前のシステムは、数年かけて崩壊して行ってるので、前には戻れません。


今日のブログの記事に出てくるような人達の横繋がりの調和の時代になっていくようです。

たぶん、『愛と調和』を理解していく道になろうかと、予感しています。

私が思うには、地球人も、日本人も、これを理解できるようになるまで、學びの出来事は、見させられることでしょう。

(もちろん、私も、この中で、それなりに応じて、見させられると思う)。

だったら、理解できた人から、目覚めた人から、建設的に行動して、心身ともどものリハビリを

はやく、始めて、自分も子供も、軽く樂しく、やりたいこと、樂しいなと思うことを

どんどん、やってみましょう。

昨日は、戻らない。

だから、今を大切に生きる。

そして、明日も。



<上勝笑井戸での一日>↓


ここは、上勝町の山の上の古民家。

一応、宿泊も出来るようです。


右側の斜面には、棚田が、あります。

裏山は、針葉樹と広葉樹が、茂っていて、薪割り用の木が、たくさんありました。

また、古民家のすぐ裏山には、ゆず、ゆこう、柿などの果樹が、たくさん植わっています。

古民家の下は、3匹の山羊のちょっとした牧場があり、車も、そこにいっぱい止めれます。

また、薪わりスペースもあり、斧もおいてありました。


なぜ、参加させてもらったのかというと、餅つきがおこなわれるのと、

上勝笑井戸(かみかつえいど)さんのコミュニティの中心の70代の農園主&工務店の方の生き方を尊敬していたのもあったし、古民家再生もやっておられるので、一度、見に行きたいのもありました。


そして、何より、年齢層様々の知らない人の中で、昭和的な學びを孫達に体験させてあげたかったのもあります。

誰一人、不機嫌な人は、いませんでした。

知らない子同士の子ども達(8人ぐらい?)も、仲良くなり、古民家の2階に上がったり、

庭に出たり、坂道を降りた下の空き地の山羊小屋へ遊びに行ったり、

そのまた、下の原っぱに、山羊に食べさせる草をとりに行ったり、餅つきを手伝ったり、

焚き火に薪をくべたり、上から下へと自由に、走り回っていました。


もちろん、その場所々で、目をかけてくれる人が、自主的にいたので、みんな得意分野で、樂しく過ごしていました。

餅米を蒸す人、餅を付く人、お湯を湧かす人、餅を丸める人、焚き火の薪をくべる人、子供のめんどうを見る人、ごきげんで、コミュニケーションを取っている人、サンバを踊っている人。


私は、何をしていたかというと、サンバを踊ってました。😊

なんか、鳴門から、インストラクターの方も来ていて、あちこちで、サンバを教えているそうです。

今月の末に、鳴門の海岸で、焚き火を囲って、踊ったり、持ち寄った物を食べたり、皆でコミュニケーションして、満月を楽しむそうです。

私は、仕事なので、そのイベントには参加できませんが、こうやって色々と出かけると、

色々な方がいますね。

視野が広がります。


それでね、若い子連れの方や、おじさん、おばさん、お爺さんやおばあさんも、知らない人同士でも、それぞれに、盛り上がっていました。


60代~70代の昭和生まれの男性の方達の会話で、

「今の若い人達は、自然物を使った火の起こし方や、ガスや電気に頼らない、ご飯の炊き方も知らない人が多い。」と。

「すべてを失ったとき、呆然と立ち尽くして、どうしていいかわからなくなるだろう。」と。

ちょうど、焚き火の燃えている木のことで、話していたからです。


そして、小3の孫に、こんなことを教えてくれていました。

山を指さして、

「あそこの葉っぱが落ちて、枯れている木があるだろ?」

「あれが広葉樹と言って、その木は、薪にすると火が長持ちして、ずっと暖かいんだよ。」

「この木から炭ができるんだ。」


「それに、あそこら辺の尖って年中、葉っぱがついている杉の木のようなのは、針葉樹と言って、すぐに火が付くが、燃えるのがはやくて、すぐに灰にになってしまうんだ。」

「だから、最初は、杉の木のような針葉樹で、火を起こして、後から広葉樹をいれると、火が長持ちするんだよ、それに暖かい。」と。


目の前の焚き火と、周りの山の木々と実際の薪が、目の前にあるので、この空気感の中(視覚、嗅覚、聴覚、触覚)で、子供に、丁寧に教えてくれました。

どこの誰かは、知りませんが、子供に生活の知恵を伝承してくれて、有り難かったです。

これが、生きた教育だと思いますね。


それも、自由に遊び体験しながら學べたので、一方的な宿題と違い、すっと頭に入ったのでは無いかと思います。


それでね、今日のこの日で感じたのは、

お餅つきの世話をしている人達は、忙しかったと思いますが、誰一人、不機嫌な人は、いませんでした。(2カ所で餅つきをしていたので)

むしろ、皆が樂しんでいるのを樂しんでいるように見えました。


だから、みんな安心の中で、それぞれに自由に樂しんでいたのだと思いました。


古民家の中は、大きい囲炉裏や、重厚な薪ストーブもあって、二階で、宿泊できるので布団もおいてありました。

また、2階から見える周りの自然の眺めも最高で、子ども達が、かわるがわる障子を開けて、外を眺めていました。

ほんとうに、外へ行ったり、中へ入ったり、下へ行ったり、走り回っていました。


そして、上勝町は、ごみゼロ宣言の街なので、すごい細かいゴミの仕分けをしているようです。

ちょっと、写真を撮ってきました。

上勝町で生活するリアルな家庭でのゴミ分別の様子。↓

すごいですね!

今の私では、これは、まだまだ、無理です。

でも、こういう上勝町のような人々や、自治体の取り組みに変わっていくのでしょうね。

地球を大切にという精神や、感謝や、横繋がりや、樂しむコミュニケーションが、

このような最先端が、この上勝町にあるんだなと安心しました。


なんか、ここを体験して、再生の近未来が見えてきました。

テクノロジーと古き良き日本の両輪で。


あまりにも樂しかったので、記事が長くなりました、じゃぁ~この辺で。

それではまたね!

本日もおばあさんのつぶやきブログを読んでくださりありがとうございました。


<知り合いの人から、無農薬の八朔をたくさん頂きましたので、教室の子ども達のおやつに。>